インタビュー

台風15号(房総半島台風)で10日間も停電!千葉県大停電&断水&猛暑の被災生活の体験談

Contents

千葉県で大被害をもたらした台風15号の被害

台風被害と言うと屋根が飛ばされたり車が横転したり「風の強さ」に注目しがちですが、千葉県の台風15号(房総半島台風)では様々な被害が同時に襲いました。

台風15号(房総半島台風)による複合的な被害
  • 毎秒60mに迫る瞬間最大風速
  • 10日間もの停電期間
  • 断水も1週間近く続いた
  • 物資不足で車で遠く離れた町まで買い出し
  • 猛暑による熱中症リスクも高まる
  • インターネット接続も不可能

台風被害でここまで長期間ライフラインを寸断され、被災生活をおくることになると想定できていた方はそういないでしょう。

2019年9月9日、台風15号が千葉県に早朝5時ごろに上陸。上陸時の勢力は950~960hPa、最大瞬間風速57.5メートルを観測し、送電鉄塔を倒壊させて大停電を引き起こし、後に「令和元年房総半島台風」と命名されました。下記はテレビ東京のYouTubeチャンネルで当時の状況を確認することができます。

なお、千葉県を襲ったのは台風15号だけでなく、1ヶ月後の10月には台風19号、さらに台風21号と低気圧による豪雨の発生と立て続けに被災したことで夏場という環境も重なり、被災地が長期に渡って混乱が続きました。

今回、千葉県で戸建て賃貸住宅(階層は2階分)に4人家族でお住まいのO.Y.さんに当時の状況についてお伺いすることができました。

被災1日目から復旧完了までの振り返り

被災1日目 千葉県に台風15号が上陸、陸の孤島へ

9月9日(月)に台風が上陸、幸い、台風の強風で家屋が倒壊する事態は避けられました。後にご近所さんに教えてもらい気づきましたが、屋根の瓦が台風で2枚程剥がれてしまっていた程度で済んでいます。

すぐに異常に気づいたのは「電気が点かない!」という事。キッチンはIHでしたのでコンロも使えません。そして被災当日から残暑が残る真夏日のようでした。

電波も届かずスマホは圏外で、まさに陸の孤島のような状態へ突入。

広報無線もよく聞こえず、市役所も病院もお店も機能していない。無い無いだらけの被災生活が始まりました。夜は街灯も家の灯りもなく、ゴーストタウンのようでした。電気の明かりが全く無いため、夜空の月明かりと星がとても綺麗でしたが。。。

停電後まもなくは、夜に救急車の音やサイレンが鳴り響き、落ち着かなかったです。いつもよりも、ご近所さん同士外に出て、情報交換がてら立ち話が多かったです。

被災2~3日目 物資不足のため車で買い出しに奔走

主人は、職場へ一度は行ったものの仕事にならず結局帰宅となりました。

長男と次男は、私の両親と共に、私の末の妹の家に一時避難しました。私と主人は、車のガソリン入れと買い出しへ行きました。いつもの地元のガソリンスタンドは長蛇の列。結局、家から40分程走らせたガソリンスタンドで給油することに。道は、田舎なので そこまで渋滞はしていませんでした。

発電機がつくまでは、信号では譲り合いで対処していましたが、事故もあったようです。
ボランティアさんか、業者の方が道路に立って誘導してくださっていた場所もありました。

お店も営業困難な所が多かったです。帰り際に、ドラッグストアでお買い物。外に商品を出して販売していたので、カップ麺、菓子パン、惣菜パン、ケースの水などをまとめ買いしました。

停電の影響で、冷蔵庫も冷えなくなってきたので、数日間は、中身の食材を調理して食べ切りました。災害時用に3,000円程度のガスコンロを買っていたので、それである程度調理が出来ました。飲料水は、飲料水用にペットボトルを買い置きして、備蓄していたものです。
今回の災害時に、物資として頂いたものもありました。

夜になり、祖父母が子供達を連れて帰宅。熱帯夜になりそうだったので、停電でクーラーも利かないために車中泊することに。2日連続で車中泊でした

自動車はMPVという車種です。クーラーをつけた状態にしていた時間帯は、昼間は2~3時間程、寝る時は7時間程だったと思います。夜はつけたり消したりしていました。車の燃料は満タン後2~3日で消費していたと思います。

被災4日目(1) 日々の防災習慣が水不足に大きく貢献

災害時のため、特に東日本大震災以来、浴槽には必ず水を溜めておく習慣がありました

写真では既に半分くらいになっていますが、断水前は満杯近く貯めていました。トイレ用水としてもこちら使っていました。

水量にすると長さ100cm × 幅55cm × 水深 55cm、満水時約300リットルの浴槽に約3分の2の200リットル程度を貯水。そして断水前にも追加で貯めておきました。

一方、停電については当初、東電の発表では「2~3日で電気復旧」との発表がありました。しかし被災4日目に入って1週間ほどかかるとの発表を家族のグループLINEで妹達が教えてくれました。情報源としては車についているテレビで情報も得ていました。

インターネット回線は停電から4~5日後位に復旧。それまでは、自宅に戻ると不通になっていました。とはいえ、千葉県全域でネット回線が復旧したわけではなく、他の地域では電波が戻らなかった場所もあった模様です。

被災4日目(2) 自宅避難に限界を感じホテル避難へ移行

暑さと疲労でキツく、子供達もストレスが溜まってる様子。私と主人、両方の実家も近居で被災しており、避難する場所もなかなか無い状態でした。

たまりかねて両方の両親に「安いホテルに泊まって一時避難をしますか?」と提案。結果、私の両親と共に市外のホテルへ一泊することになりました。義両親は、ネコがいるのと家に居たいとのことで断念しました。

ホテルは車で1時間ほど行った場所にありました。4人で1泊14,000円。空き室は、あまり無かったと思われます

ホテルに着くと…クーラーの効く部屋、水が流れるトイレ、温かい食事、氷がある、冷たい飲み物が飲める、お風呂へ入れる…そこには、その時まで断たれていた当たり前の生活がありました… まるで別世界に感じましたね。日々、感謝しながら生活していましたが、ここで改めて、当たり前の生活があることの奇跡・感謝を噛み締めていました。

このとき、私には遠くへ住んでいる友達からのメールや電話が励みになっていました。心配して、支援物資を届けてくださるとのこと、そのやりとりの中で、人との繋がりの大切さが身に染みたのです。いつもよりも、更にたくさんのありがとうの気持ちが溢れていたのでした。

被災5日目 市外では復旧が進んでいる事を実感

家族4人と私の両親でホテルへ一泊し、少し英気を養えました。連泊は検討はしましたが、いつ停電が解消するか分からなかったので予定が立てられず1泊のみでした

帰り際、遠くの友達からの優しい励ましの電話に涙が溢れ出ました。子供達を守ろう、家族と共に乗り越えよう、改めて心に渇を入れたのでした。

自宅へ戻る際に市外で買い物を済ませました。ガスコンロでお米が炊けるお釜をホームセンターで買いました。牛乳、コーンフレーク数袋、カップ麺、インスタント味噌汁、缶詰、レトルト食品など、震災時に食べられるものを買いだめしました。これらは全て7人乗りの乗用車のマイカーへと積み込みました。

買い物先の市ではライフラインも平常時のように機能しており、スーパーも営業。やはり別世界にいるようでした。また、被災して5日目あたりから地元では自衛隊支援のお風呂が始まったみたいです。

被災6日目 猛暑で汗だくでもお風呂へ入れない日々

6日目までは断水前の水やお風呂に溜めていた水で手洗いで洗濯をしていました。

被災生活を乗り切ろうと奮起はするものの被災生活も長くなり、気力も落ちてきていました。手洗い洗濯をする余裕がなくなっていき心身ともに消耗していきます。

近くのコインランドリーへ向かうも行列…。そこで、大量の洗濯物を抱え停電が解消している少し離れた地域へ行くと洗いと乾燥で1,000円でした。

猛暑で体がベトベトで気持ち悪く、その後スーパー銭湯にも行きました

お風呂へ入れない日は、気合いで水で体と頭を洗っていました。ガスが使えるお家は、お湯を大きなお鍋で沸かして、お風呂場へ運び、体や頭を洗っていたみたいです。

被災7日目 自衛隊のお風呂支援を受ける事が可能に!

7日目の9月15日(日)、主人と子供達は、市のコミュニティ広場で用意してくださっていた、自衛隊のお風呂へ入りに行きました。

お風呂情報は市で登録していたメール配信で送られてきました。あとは、市のホームページに書いてありました。Twitterでも、同じ市内の情報が拡散されていました。

私の周りでは、お風呂に行ってきたとお話されている人が多く、かなり利用されていたように思います。時間帯によっては、待ち時間もあったみたいです。

私は丁度生理がきたので、入るのを躊躇いました。この生理も災害のショックとストレスで1週間程遅れていました。後日、女性の自衛隊員さんにお尋ねすると「生理中でもシャワーだけなら、大丈夫ですよ」と、端にあるシャワーの場所で体と頭を洗わせてくださいました。こういうご配慮も、本当に助かりました。

お風呂のお湯も飽きないように、練馬の湯、◯◯の湯…、など日替わりで変わっていました。とても工夫されていて本当に頭が下がりました。

被災8日目 避難所の炊き出しに参加するも長蛇の列

避難所の炊き出しへ行きました。カレーライス、ポテト、かき氷など ボランティアでお店を出してくださっていました。

炊き出しは、車からスピーカーで案内を流しながら回ってくれていました。あとは、グループLINEで情報が流れてきて助かりました。

炊き出しの場所は、コミュニティセンターです。団地内の炊き出しは公園で行っていました。避難所は空調がきいていて涼しく、コミュニティセンターで行われた炊き出しは行列が出来ており、おそらく数百名程来ていたと思います

コミュニティセンターへは被災者が避難所の近くだったり車があると行けますが、遠方にお住まいで車が無い、ご年配や障がいをもたれる方、外出が難しい方への送迎などがあればと思いました。何回か、市役所や社会福祉協議会へ、その事を掛け合いましたが対応は難しそうでした。

被災9~10日目 停電解消!緊張の糸がきれ思わず号泣

心も体も疲弊して、もう気力で生活していたように思います。

TwitterのSOS拡散やマスコミの報道もあってか、千葉県全域の停電復旧が早まったように感じました。事前の発表では9月27日まで復旧見込みと出ていましたが東電さんや自衛隊さん尽力で、どんどん停電が解消されていきました。

そして被災10日目の9月18日(水)の夜中、情報共有していたグループラインから「電気点きましたよね?」とのメッセージが!!

LINEのグループトークは今回の為に作成したグループではなく、元々作られていたグループでした。大停電時に幾つかのグループで情報交換をしていたのです。

通電したときの火事防止にブレーカーを落としていたので、まだ薄暗い早朝に主人がブレーカーを戻したその時…パッ!!と部屋が瞬く間に明るくなりました!

「わーーーーっ!!電気が点いたーーー!!」子供達は飛び上がって喜び、私は喜びと苦しさ辛さから解放されたことへの安堵感からか号泣してしまいました。

けれど、電気が点いたからこれで終わりではない…まだまだ他の地域では停電解消しておらず、今私に出来ることは何かを考えていました。

停電解消から数日 日常が戻り、自衛隊さんをお見送り

心身を休め…温かいお風呂へゆっくり入り、ご飯も食べて、よく眠ったあと、私は市内のボランティアへ行きました。この日は、全国から届いた支援物資を開封して、仕分けをするお手伝いをさせてもらいました。

封を開ける度に、送ってくださった方々への気持ちが込められているんだ…中にはお手紙が入っているものもあり、涙が込み上げてきました。ありがとうございます、と心の中で呟きながら、1つ1つ大事に開けていきました。

Twitterで情報を拡散したり、市内のボランティアへ行ったりと、今自分に出来ることをさせて頂いてました。隠れ停電などもありましたが、徐々に電気は復旧していきました。被災した経験を、私はこの出来事を何かの形で書き残したい…と、強く感じました。

なお、子供達は小学校と幼稚園も始まっていました。主人は、被災の疲れで体調を崩していましたが、落ち着いた頃に出勤再開ができるようになりました。

また、この日はお世話になった自衛隊さんへの感謝のお見送りの会が開かれました。

お風呂の設置、支援物資の配達、市民の皆さんの見守り、東電さんと連携して復旧作業にあたるなど本当に様々なことで助けて頂き、市内全体が感謝の気持ちに溢れていました。

見送ったあとには復興を応援してくれるかのように虹が出ていたことが印象的でした。

台風15号(房総半島台風)の教訓として

Q.10日間もの猛暑対策はどうされてましたか?

マイカーのクーラーがメインとなりました。車は買い物、市外まで出て電波を拾いに行く、情報収集など移動しながら車中で過ごしていました。避難所もクーラーが効いていて涼しかったです。そのほか、買い物先やコインランドリー、スーパー銭湯など涼しいところを求めて出歩くこともありました。

Q.情報収集先として有効だったTwitterアカウントは?

山本ともひろ防衛副大臣さんのアカウントは、大変お世話になりました。
被害のある場所をお知らせすると迅速に対応してくださり、本当に助かりました。千葉県民の命の恩人さんです。

Q.勤め先はどんな対応をなされていましたか?

停電が落ち着くまでお休みしてもいいですよ、来ている人たちでシフトを回しますからね、と言ってもらえました。子供達は小学校と幼稚園が休校、休園だったのでとても助かりました。

勤め先の保育園は数日で通電したとの連絡メールが届いていました。断水もあったようです。家庭保育のご協力をお願いしながら、お仕事のある保護者の方の為に出来る限りの保育をされていたようでした。素晴らしい職場で、先生方の偉大さを実感していました…。

Q.行政の支援はいかがでしたか?

ホームページでは、スーパー銭湯など 無料開放、避難所の開設などの情報提示をしていました。ただ、電波も無く、スマホやパソコンを使えない方々への情報拡散が行き届いていなかったように感じました

広報無線も、いつの間にか聞き取れなくなった場所もあったそうで、広報車のスピーカーで情報提供をしてほしいなどの声もありました。また、ご年配の方々への配慮として昔ながらの回覧板やチラシなどを行政や自治体で配れていたら…とも感じました。

給水について幾つかの小学校、避難所、役場などで行われていました。

避難所も開設していて物資などは役場や避難所に集積されていました。公民館などのコミュニティ広場へ物資を届けて、車が無いなど避難所などへなかなか向かえない方々へのサポートをしてほしい等の声も市民から上がっていました(避難所までの送迎など)。

私が住んでいる団地では炊き出しやチラシ配布などもあり、気になるお家への安否確認を会長さんが行うなど、自治会がきちんと機能していて本当に助かりました。お仕事もあり、家族もいらっしゃる中、尽力してくださり本当に感謝しております。

Q.自衛隊やボランティアの支援は受けられましたか?

被災期間の後半で消防団や自衛隊の方々が一軒一軒回って物資を届けていました。民生委員の方はご年配などの安否確認をしていたなどの情報がありました。避難所などで、自衛隊の皆さんが設置してくださったお風呂、炊き出しなどもあり、心も体も暖まりました。本当にありがとうございます

10日間の被災生活の備えとして有効だった事は?

浴槽貯水で数百リットルもの生活用水を確保

東日本大震災の時は、まだ長男が小さかった事からお風呂に溜め水をしておくと危険なのでしていませんでした。その時、トイレの水を流すのにとても苦労したので、その後からお風呂やバケツに溜め水をしておく習慣をつけていました。なので、今回はお風呂の浴槽に貯水と断水直前までの補給でトイレや一部の洗濯物などの生活用水の確保は完璧でした

停電でIHは利用不可能になるもカセットコンロで対処

こちらも東日本大震災以後、災害時に非常食となりそうな食材を日頃から備蓄する習慣をつけていました

水、レトルト食品、レトルトご飯、インスタント味噌汁、コーンスープ、缶詰、パスタ、お餅、日持ちのするお菓子、ふりかけ等々…賞味期限を確認しながら、入れ換えもしていました(ローリングストック)。

災害時の食事は備蓄していたものの他に、炊き出し、お友だちからの支援物資、ライフラインが機能している場所までの買い物で乗り切ることが出来ました。

停電でIHコンロは使えなくなっていましたが、常備していたカセットコンロと別途買い足したご飯鍋を用意したことで火を使った調理が可能となりました。火が使えることでご飯はもちろん、インスタント味噌汁、缶詰のおかず、レトルトカレー、ふりかけ等で食べやすい食事を摂れました。

ポータブル電源とカーインバーターで電力も確保

主人が買い置きしておいた、ポータブル電源が重宝しました。モバイルバッテリーを巨大化させたような高容量のものですね。

元々はこれでスマホや子供達のゲーム機などの充電をしていたので、避難所で充電ということがなかったです。あとは車で充電出来るカーインバーターも常備しておりましたので、スマホや簡易照明などある程度の電力供給はこれらでバッチリでした。

とはいえ、ポータブル電源とカーインバーターの併用で10日間もの停電を凌げた感じです。バッテリーだけでしたら、持たなかったかもしれません。

日頃の防災意識を高める自助と地域の共助で乗り切る

備えあれば憂いなし、やはり日頃から防災意識を高めていたことです。

災害はいつ来てもおかしくない、なので日頃から

  • 備蓄の用意、確認、補充
  • 防災グッズを詰めたリュックサックを玄関へ配置
  • 風呂場の浴槽への貯め水
  • ペットボトルや小型タンクへも貯水

といったことを怠りませんでした。

もし、浴槽の貯水ができていなかった場合は、給水車が来ていたのでそこまで取りに行っていたと思います。生活用数などはそれで賄っていたかもしれません。

そして、この被災生活を無事に乗り越えられた一番要因は、人と人との支え合い、協力、繋がり、助け合いだと感じました。

東電さん、自衛隊さん、地域の方々、報道の方々、市役所の職員さん、政治家さん、ボランティアさん、友達、家族…他、様々な方々の支えがあり、千葉県大停電を乗り越えてきました。この被災生活で、人同士の暖かい絆が新たに…再度…生まれ育まれた瞬間だったとも実感しております。